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三銀蔵 日記
おもいつきブログ

坊人と忍者と木地師と近江商人

14/7/2018

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やっと、三銀蔵から出して調べていた物の写真を撮って、古文書や資料以外の物を再び三銀蔵に戻しました。これから、目録づくりと蔵に戻した物のナンバリング、タグづけに取り掛かりながら、報告書の完成(現在、B5サイズで250ページ位)を目指します。

先行して、親族や多賀大社、関係者向け概略版の小冊子を作製しました。又、ご紹介したいと思います。

さて、今回は、もしかしたらと妄想していた事が家系図を作ったり、昔の資料と戦うなかで「確信」に変わりつつある事をご紹介したいと思います。
画像
左の図は、現在判明している家系図です。私は、右下あたりのオレンジ矢印に位置します。おおよそ、8~9代前までわかりました。

先祖は、多賀大社(当時は、多賀神社や多賀大明神)を仕切っていた不動院に所属していた坊人(ぼうにん)という家業でした。多賀大社の信仰を全国に広め、建替えなどの資金を勧進するのが表の顔ですが、住んでいたのは甲賀です。

​しかも、忍者で有名な甲賀21家の一つ、佐治氏の守護神を祀っている小佐治大明神(現佐治神社)で社僧をしていたのではないかと思われる一族で、多賀大社においては御神札を配るだけでなく、使僧として勤めていたとわかりました。​
一族のお墓は、知ってる人しか行けないような天台山と言われる小高い山の中にあり(お堂は信長に焼かれたらしいので、戦国時代からいたのかもしれません)ご先祖には「権大僧都 大越家 阿闍梨」という修験僧や山伏にとっての最高の階位がついていました。坊人のルーツは修験僧・山伏だと言えます。

更に、伴侶の出身地をみると隠岐の隠岐氏の娘(私にとってはひいひいばあさん)だったりして、やはり殆どが甲賀忍者と関係が深い家でした。私たちがイメージしている忍者の恰好なんて普段していたら、隠密・諜報活動なんて出来ないので、普段は山伏などの恰好をして・・・と書いているものもありますが、実際に山伏であり、しかも多賀大社の坊人として、大きな顔をして各領地に入り、大名の武運を祈る「牛黄宝印」を敵味方どちらの陣地にも届けられるというスペシャルな役回りだったようです。

甲賀市 薬業の歴史 には、甲賀売薬の起源は、①薬僧から出たとする説、②甲賀忍者の発明とする説の二説が伝えられているとありますが、三銀蔵から出てきた古文書には、薬草の配合などが書かれているものがあり、又、親戚には明治維新以降、売薬業に転身した家もあったり、ある坊人の家からはシュリケンもあったらしいので、二説ではなく『坊人』という職をもう少し深く探れば、今までの仮説のなぞが解ける事もあるのではと感じるようになりました。

例えば、近江から全国に広がったと言えば、木地師と近江商人がいます。どちらも坊人の活躍、その前の多賀信仰の全国展開より新しいのです。

木地師が作っていたルーツの製品の一つに「杓子」があります。多賀杓子は、おたまじゃくしの語源にもなるほど有名な多賀大社のお土産ですが、杓子は元は修験僧が山で修験中に作ったものを持ち帰り配ったのが「お土産」のルーツだと言われていて、道具だけでなく信仰に関係するものとして職能として認定されないと作れなかったそうです。

ひいひいじいさんは、江戸時代、京都の糸へん(近江出身)に勤めてから坊人になっていたり、大叔父は逆に伊藤忠商店に勤めたりしています。伊藤家の男子の跡継ぎがいても、娘に婿養子を迎えるという店の安定・躍進をはかるシステムも、それ以前に坊人の当家でも ガンガン行われていた節がありました。もちろん、全国展開という点でも坊人の方が先輩です。

本日は、ここまでとしますが、近江の歴史を紐とく時に「坊人」という存在を加味すると、又 違った発想が生まれてくるんじゃないかなぁ…と思い始めています。

そう考えると、明智光秀が情報を得やすい多賀(鈴鹿山脈)にいたというのも、まんざらでもない気さえしてしまいます。

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    多賀大社の門前の蔵の片付けでわかってきたあれやこれやをつづって行きたいと思います。

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