「第一章 ルーツを探せ! 」1-1 いざ!甲賀へ 07 ●再び、大勢でご先祖様をめぐる旅へ 2016年11月末、しげ子はじめ、親族と定番の多賀のお土産「糸切り餅」を持って、銀治郎さんの実家、お墓、お寺…等々、廻ってきました。 驚きの発見がいくつかありました!後から詳しく書きますが、甲賀と多賀大社はきっても切れない関係で、岩田家、三木家は多賀大社の歴史にとても関係があるという事で、多賀町文化財課の方も同行して下さいました。 まずは、銀治郎の生家(ルート2)へ 佐治神社とお墓のある丘がバッチリ見える小高い場所に銀治郎の生家の岩田家はあります。しげ子の夫、三木真太郎の父親の銀治郎は、岩田家(ルート2)の四男で三木家に養子に来て下さいました。その銀治郎の長兄のお孫さんの家です。 過去帳を拝見! 過去帳というのは、毎月毎日お経をあげる為にある物のようで、日にち別に江戸時代も昭和も月は違っても同じ日に亡くなった人が一括りになっています。 しかも、古い方は何歳で亡くなったとか、生前はどういう名前で、誰とどういう関係かというのがわかりません。 更に、判別が困難なのが当家(岩田家)の特殊な事情によるもので、同じ名前を何度もつけていたり、寺院の名前(真蔵院)で表記してあったりします。 しかし、いくつかの貴重な事がわかりました。 08 ●ルート1.2は同じご先祖 岩田秀久(ルート1)の古い戸籍の写しに「真蔵」とあります。又、岩田幹也さんから岩田秀麿が父 真一が亡くなり青島(中国)から帰ってこられてから住んでいた場所を「真蔵院」といったと聞いていました。
ルート2の銀治郎の生家の過去帳にも「真蔵院」がいっぱいです。 どこで、つながっているかはわかりませんが、明らかに同じ祖先を持つ家だとわかりました。 名前には「秀」「真」が使われる事が多いようです。
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内容三銀蔵や多賀大社・坊人について調べた事の報告書を作成中です。その内容をボチボチ順番にUPして行きます。 アーカイブカテゴリ
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