「勤倹力行」(きんけんりっこう) 庚申初夏為子孫書之 淇内六拾七翁 意味: しっかりと働いて、質素に暮らしながら力の限り努力するべし かのえさる(大正9年1920年)初夏 淇内(きない)67才の時の子孫への書 はじめに 上の写真の扁額(へんがく)の書と肖像画は2016年、多賀町文化財課の協力を得て、三木の本家(三木真太郎・しげ子)の蔵から出できた先祖 三木淇内(きない)が私たち子孫の為に書いたものです。 少し、胸が熱くなりました。蔵からは会った事のない祖父祖母や大伯父大伯母の物も多数出てきました。元気づけられたり、誇りに思ったり、励みになったりしました。 そして、とても文化的な暮らしをしていた一族だったと知りました。 本家をつぐ人はもういませんが、この先 三木家からつながった子孫の為にちゃんと伝えるのが、先祖から命のバトンを受け取った私たち世代の役目だと思い、この冊子を作ることになりました。 調べていると、一人一人のご先祖と対話しているような気持ちになったり、わからない事があると不思議とヒョンな所から答えが見つかり、近くに先祖がいるのではと感じる事もありました。 又、地域や多賀大社との関係が深く、今はない特殊な仕事をしていた一族だったとわかって来ました。 まだ途中報告のようなもので、素人が作っていますので、読み辛い事も多いと思いますが、子孫の皆さんに伝えて頂ければ幸いです。 「勤倹力行」という淇内の教えは、丸紅常務取締役となった長男・謙吉にも引き継がれ、昭和7年、欧州視察でアメリカから送ってきた絵葉書に「お金があれば、こんなに楽しい国はない。しかし、日本は勤倹力行で行くほかない!」とありました。近江商人のベースには、この教えがあったのだと、曾祖父の額にふれて、はじめて知りました。 報告書に使った淇内の肖像画は、実はボツになった右のものだと後からわかりました。左が参考にした写真。真ん中が蔵の雨漏りでひどい状態になっていた、本人が選んだと思われる肖像画です。(家紋入りのがちゃんとした掛軸になっていました)
Photoshop(画像加工ソフト)で出来るだけ黒ずんだ所を直したのですが、名前すらウロ覚えだった曾祖父の顔を こんなにマジマジ見る事になろうとは、夢にも思っていませんでした。おかげで 愛しさ倍増(笑) どちらにせよ、肖像画を描かれた方の微妙な「髪とシワ、額」の量の忖度具合に脱帽しました! 大じいちゃんが「わしの顔で 遊ぶなぁ!」って 言ってる気がします。
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内容三銀蔵や多賀大社・坊人について調べた事の報告書を作成中です。その内容をボチボチ順番にUPして行きます。 アーカイブカテゴリ
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