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vOl.4
さて、そもそも
『
淡海秘録』
という文書が、いかような物なのかが気になるところですが、光秀公が生きていた時代に書かれた一次資料ではないので「史実」とは断定できません。でも、それは美濃誕生説とて同じなのだそうです。
美濃出身の氏族だからと言って、本人が美濃生れとは限らない!
目からウロコでした。そもそも、美濃には既に5カ所も生誕の地と言われている場所があるのに、決定打にかけるという事は、美濃でない可能性も探ってみていいんじゃないのと 勇気をもらいました。
vOl.1
vol.2
vol.3
vol.5
同様の内容が書いてある
『淡海温故禄』
は、
貞享年間(1684~1688)成立の近江の地誌
『明智軍紀』(1688-1702)は、全く史料的側面がないわけではないが 作為が見えでたらめも多く信用できない。
『淡海温故禄』は、中世の土豪や社寺のことに重きがおかれ、
井伊家に献上
された。
おーーー! もう、この地域の住人にとって、井伊家に献上されたものならば、
無条件に信用度がUP
してしまいました!しかも神崎郡(六角氏のお膝元)
の人
が書いているので、本能寺の変から100年たっていたって、バリバリ地元の人が 嘘八百を並べられるはずはない。とりあえず、前に 進む事にする。
結論(仮) 明智光秀の2~3代前の
明智十左衛門は、1480年に佐目にやってきた!!
と、vol.3で 仮に定めてみましたが、現在の佐目からは「なんで、こんなとこに?」という、最大の疑問が残ります。と、いうよりも 個人的には眉唾物だと思っていたので 当初は「明智光秀が住んでいたと見栄を張る事で、メリットがあったのだろうか」と思っていました。
下の図は、個人的メモです。
十兵衛光秀が、
どこ
で生まれたかも定かでないので
いつ生まれたかもわからない
そうですが、なんとなく説が多い1530年位としても、1480年に2~3代前がやってきたの範囲内です。
それにしても、六角高頼さん、やりますねぇ。
土岐成頼の息子を猶子
にしています。
とても、壮大な過去から話をはじめてしまいますが、多賀という場所は、神世の時代から、
西国と東国の要の場所
で大陸からの情報も入り、尚且つ びわ湖は見えるし、鈴鹿山脈が大きな砦になっていて、熊野から山伝いに行き来できる場所です。
淡海じゃなくて 淡路の書き間違えなんじゃないのと言う話も過去にはありましたが、愚問です。
日本を治めようと思っている人(神)が、一カ所の しかも島にずっと留まっている訳はありません。淡路か多賀かではなく、淡路も多賀も です。
手塚治虫先生 ありがとうございます。
これはマンガではありますが、地域の伝承と合致する事も多く、犬上の地は戦国以前から
「近江を制するは、天下を制す」
だったのです。
『火の鳥太陽編』
には、ここは
大滝神社
かな とか ビバシティ彦根の近くの
都恵神社
かなと、妄想には事かかないです。
多賀・佐目というのは、
近江・美濃・伊勢の三国
に接しています。
場所によっては、山に登ると、びわ湖側も太平洋側も見えます。もちろん、中山道もバッチリ見えます。
この地図も、自分のメモの為に作ったので やたらと 色々ポイントがありますが すべて 関係するかもねという場所です。Googleさんのマイマップで作ったので 共有 公開の仕方を勉強したら UPしますね。
なかなか 佐目には行きつけませんが、次回も下図の どれだけ軍事的に「イケル」場所だったかをお話ししたいと思います。
大河ドラマがあったら、何でも「ゆかりの地」という 県民さえも驚く 滋賀県ですが(笑) 仕方がないんです。本当に、探せば 出てくるんですもの…。西郷ドンだって、近くにあったんだけど、だまってました。
近くに都があっちこっちあった地形なので 私たちの努力というより、びわ湖と周辺の山のおかげかな(笑)
vol.5 につづく
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